みんなのインターネット

2021.12.23 検索やSNSじゃない「ネットをするために、ネットをやっていた」そんな時代がありました。【So-net 25周年!初めてのインターネット座談会】

2021年サービス開始から25周年を迎えたSo-net。この25年でインターネットは劇的に普及しましたが、なんせ当時の幼稚園児がアラサーになってしまうほどの月日が経っているので、それなりに歴史や思い出も蓄積しているはず。

というわけで、今回は「初めてのインターネット」をテーマに、ネットに首までどっぷり浸かって生活してきた方々に、思い出を語り合っていただきました。まずはメンバー紹介から!

【登場人物】
小木曽健

ネットにまつわるヒヤリハットを劇画調のマンガでお届けする『サイバー護身術』の記事監修を担当。今から15年ほど前までADSL業界におり、ナローバンドからブロードバンドへの激変に揉まれていたそう。当時はSo-netに仕事・プライベートともお世話になっていたとのこと。

【登場人物】
斎藤充博

さまざまなオンラインサービスの体当たりレポートでおなじみの連載『ネットサービス体験記』を担当するライター兼マンガ家。

【登場人物】
劔樹人

暇つぶしではなく、ガチで役立つYouTubeを見つけては、その素晴らしさを熱く語る連載『暮らし、楽しむ、YouTube』を担当するマンガ家であり、ベーシスト。自伝的コミックエッセイ『あの頃。~男子かしまし物語~』(イースト・プレス)が2021年に映画化。25年前の記憶は全くないとのこと。

【司会】
しげる

『スマートにいかない私たち』の担当ライター。本記事の司会&執筆を担当。本格的にインターネットに触れたのは自分のPCを手に入れた2005年ごろからとやや遅め。

以上、PreBellで連載を抱えるほどネット漬けの日々を送ってきた面々による、ネットにまつわる25年間の思い出座談会、スタートです!

25年前、何してました?

──25年前といえば西暦1996年、ちょうど初代たまごっちが発売されたり、ポケモンの赤と緑が発売されたり、コミケが初めてビッグサイトで開催されたりといった年にあたります。25年前、皆さんは何をしていましたか?

斎藤 僕は14歳で、栃木の田舎に住んでる中学2年生でしたね。ちょうどポケベルが流行ってた時期だったんですよ。クラスのイケてる連中が持ってる象徴的アイテムだったんですが、親が通信関連の仕事をしていた関係で、自分も持たせてもらえて……。ポケベルを持ってるだけでイケてる人たちと交流ができたのを強烈に覚えています。ただ、田舎なんで公衆電話が全然なかったんです。いま思えばポケベルはたんなるおもちゃとしてしか使っていませんでしたね。
ポケベルのイメージポケベルとは、ポケットに入るような小型の無線受信端末のこと。「ポケベル」は、NTTの商標だったそう。固定電話や公衆電話のダイヤルからボタンを押して相手の端末(写真)にメッセージを送るというもの。この小さな端末で、メッセージを確認していた。
劔 1996年ですよね……。高校2年生だったはずなんですけど、なぜかこの年の記憶が完全にないんですよ。写真も1枚も残ってないし、考えても全然思い出せない……。
斎藤 インターネットとかも全然やってなかったんですか?
劔 家に親が買ったMacがあったんですよ。ネットの記憶はないんですが、それでゲームをしてた記憶はあります。ただそれが1996年だったのか……。本当に、今回の座談会のお話をいただいてから焦ったんですよね。あまりにも25年前の記憶がなくて。

──空白の1年ですね……。小木曽さんは25年前ってもう社会人でしたか?

小木曽 当時は23歳で、まだちゃんとした勤め人ではなかったのですが、その数年後にはADSLのホールセール(プロバイダに回線を提供する)企業で働いていました。ADSLって回線速度が上がるほど通信が不安定になるんで、サービスの速度がどんどん上がっていったあの時代は大変でした……!

──回線提供サービスという立場から見た、25年前の変化ってどんなものでした?

小木曽 アナログ企業にもパソコンが導入される様子を、本当に目の前で見ていた時期でしたね。年末までは『サザエさん』に出てくる波平のオフィスみたいだったアナログ企業が、年が明けたらすべての机にパソコンが配置されていて、それが有線でネットにつながってる……みたいなことが起きていました。世の中が一変する様子を、社会人になりたての頃に見た世代ですね。

あの頃みんな「ネットをするために、ネットをやっていた」

──では、皆さんが初めてネットに触った時はどんな感じだったんでしょうか?

斎藤 家のパソコンがネットにつながったのが高校1年くらいだったんで、1996年からは数年は経ってますね。よく覚えているのが、『すべてがFになる』っていう小説で話題になっていた作家の森博嗣さんが、毎日ホームページ上で日記を更新していたんですよ。小説を読み込んでからその日記を読んでいたんですけど、これが作家と直でつながっている感じで強烈でしたね。
斎藤充博さん「当時は、彼のブログを読んでいたこともあり小説家の森博嗣に異常なほど影響を受けてましたね…」という斎藤充博さん。
小木曽 初めてネットを触ったのは20歳過ぎくらいでした。当時NECのPC98というパソコンがあって、これがめちゃくちゃ売れてたんです。今となっては信じられないんですけど、NECのパソコンの規格に合わせた「NEC専用Windows」っていうのがあって、そのOSでそれが入ったパソコンでネットに接続したのを覚えてます。
斎藤 すごく覚えているのは、ネットを使い始めた当初って調べ物をしたり買い物をしたりっていう目的があったというよりは、「インターネットをしたいから、インターネットをやる」っていう感じだったことなんですよね。ネットにつないでる間だけサイバー空間にダイブする……みたいな。ほとんど文字しか出てこないんですけど、なんか没入感があったんですよね。
劔 僕の場合、2001年に初めて自分のパソコンを買ったんで、自宅でネットに接続したのがちょうどその頃なんですよね。NTTのテレホーダイ(※)に入っていたんで、23時から定額でつなぎ放題になる。だから23時までは一切触りませんでした。

※テレホーダイ:NTTがダイヤルアップ接続のインターネット利用者向けに、1995年に始めた、23時から翌8時までの9時間に限って指定した電話番号への発信を定額で行うことができるサービス。サービス開始当初は、パソコン同士の通信での使用がメインだったが、のちに今のようなインターネット通信が普及し、主にインターネットサービスプロバイダ(ISP)へのダイヤルアップ接続の用途に使用されていた。

──劔さんの当時のネットの使い方って、どんな感じだったんですか?

劔 バンドをやっていたんで、まずそのバンドのBBS(※)の運営ですね。あと、その頃にはハロー!プロジェクトとかモーニング娘。がすごく好きになっていたんで、それに関してはものすごくたくさんネット上でやることがあったんですよ。

※BBS:英語の「Bulletin Board System」の略語で、電子掲示板のこと。インターネット上で記事(スレッドやトピックなどと呼ばれる)を書き込んだり、閲覧したりできる仕組み。単に「掲示板」と呼んだり、「BBS」と呼ばれることも。個人が作ったものから企業のものまで、当時はさまざまなBBSが存在し、「2ちゃんねる」は日本最大級の電子掲示板サービスだった。

──今でこそアイドルファンがネット上に長文を書くことは珍しくないですが、その当時でもアイドルファン特有の長文ってネット上にあったんでしょうか?

劔 たくさんありましたよ。当時はブログとかなかったので、個人のテキストサイトに長文を書くんです。そういうところに書かれた考察を読んでましたね。見るものは無尽蔵にあって、時間が全然足りなかったです。当時からハロプロのファンってネットをすごく使っていたので、テキストサイトもたくさんありましたし、2ちゃんねるもモーニング娘。の板の勢力はすごかったですから。2ちゃんねるの芸能に関する書き込みは「モーニング娘。とそれ以外」くらいの感じでした。ハロプロファンのインターネットの使い方は、普通の人に比べてだいぶ早かったと思います。
劔樹人さんバンドのBBSにはじまり、ハロプロファンとの交流と、ネットを広く使いこなしてきた劔樹人さん。

検索エンジン戦国時代を制した、Google出現の衝撃

小木曽 Googleがサービスを開始したのって、ちょうどその時期くらいだったと思うんですよね。「Googleという会社が日本でテストサービスを始めた」って聞いて、見に行ったら「google」って書いてあるだけで、広告もなんにもない。凄く不気味なんだけど、検索をかけたら、探したかった情報に一発でたどり着ける。お金は1円もかからないし、なんだこれは!と思いましたね。

──今調べたんですが、Googleのサービス開始は1998年だそうです。

斎藤 Googleの出現は覚えてますね。画面が真っ白なのが強烈で。それまではYahoo!とか、いわゆるポータルサイトをたどってネットを触ってましたから。次元が違うものが出てきたなって思いました。検索エンジンって色々あったじゃないですか。Lycos(ライコス)、goo、あとフレッシュアイとか。それらを横断する検索サービスもあったりしましたけど、Googleが登場してから全然使わなくなりましたね。
劔 僕はYahoo!を使っていたんですけど、たまたま理学部にいたサークルの先輩に用事があって、研究室に行ったんですよ。そこで先輩がGoogleを使って調べ物をしてて、なんだこれって思ったのを覚えてますね。そういえば、当時のメールはHotmail(※1)を使ってましたし、MSNメッセンジャー(※2)とかも使ってました。

※1 Hotmail(ホットメール): Microsoftが提供していたeメールサービス。誰でも無料でメールアドレスを取得・利用でき、メールソフトがなくブラウザ上でeメールの閲覧・送受信ができる「Webメール」型サービスの先駆けとして人気を博した。

※2 MSNメッセンジャー:Microsoftが提供していたインスタントメッセンジャーサービス。今だとLINEやFacebookメッセンジャーなどに近いサービス。ネットを介してリアルタイムにメッセージのやり取りが楽しめるソフトとして「メッセ」の愛称で多くのユーザーに親しまれていた。

──メッセンジャー、あったな~!

斎藤 使ってましたねえ。大学生の頃だったかな。

「ネットで年上の人に遊んでもらう」のが楽しかった時代

──他に「こんなサービスを使ってたな」っていうものはありますか?

劔 teacup.のBBSはバンドの掲示板として使ってました。当時はネット上での告知の方法がそれしかなかったんですよ。知り合いのバンドがこっちの掲示板にも告知したり、その逆もあったりとか。ただ、それをお客さん見に来ていたのかわからないし、手応えが全然ない。2004年くらいからはmixiが主戦場になっていきましたね。音楽性とか、来てくれるお客さんが近いところにいるmixi内のコミュニティに告知していくのが主流になりました。
斎藤 mixi、自分もやってましたね。というか、招待制SNSへの渇望みたいなのがすごくあったんですよ。
mixiログイン画面2008年のmixiログイン画面。(Via web.archive.org

──それは一体どういうことなんですか?

斎藤 僕は当時、普段自分がいるコミュニティが心底くだらないと思ってる学生だったんですよ……。「もっとおれはハイセンスな人達と、素敵な会話をするべきなんだ!」って思ってましたからね。

──尖ってますね……。

斎藤 尖ってたんです……。そこで、mixiが流行るよりちょっと前に「Orkut(オーカット)」(※)っていうSNSがあるってパソコン雑誌で見たんです。なんだかアカデミックでハイソな雰囲気があって、招待制で。どうも雑誌を見るとOrkutの向こう側では頭のいい人たちがハイセンスなコミュニケーションを繰り返してるように見えて、これに自分もめちゃくちゃ入りたくて……!

※Orkut (オーカット):Googleが提供していたSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の名称。誰かに招待されないと参加できない「招待制」を取っていた。スタートは、2004年。

小木曽 最近だとクラブハウスみたいな感じですね。
斎藤 全く同じですよ。最終的にOrkutは入れなかったんですけど、その後すぐmixiが出てきて、これも「壁の向こうでは心の優しい人たちが魂の交流をしている」というふうに見えまして……。実際中に入ってみたらそんな感じではなかったんですけど、「そういうところに入れば、俺のセンスが認めてもらえるはずだ!」みたいな気持ちがすごくあったんですよね……今となってはバカとしか言いようがない……。
劔 僕は逆にオタクだったんで、そういうハイセンスな感じというか、クリエイター気取りみたいな人たちへの増悪がすごかったんですよね。大学時代から大阪に住んでたんで、東京のハイセンスなカルチャーみたいなのにもムカついてました。

──これまた若者っぽい鬱屈ですねえ。

劔 今思えば若者っぽいですよね。だからもう、当時の友達と一緒にmixiは遊び尽くしましたよ。僕の若い頃の話が『あの頃。』っていう本と映画になってるんですが、mixiで遊んでいたのがまさにこの頃ですね。友達と一緒に、仕事中もmixiでどれだけ相手を笑わせられるかに命をかけてました。友達の一人は、仕事を辞めて無職だけど家に彼女がいるから仕事に行くフリだけをして、近所の公園でずっとmixiやってて、パケット代がすごいことになってました。楽しかったですねえ~。

──あ~、パケット代って概念も聞かなくなりましたね……。みなさん、携帯でネットって見てましたか?

斎藤 やってましたね。高校生の時にすごくイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)が好きだったんですよ。でもまわりにそんな話ができる人が全然いなくて、結局「魔法のiらんど」にあったYMOファンのページに行って、年上の人たちに相手をしてもらうという痛い高校生をやってました。

──ネットって、年齢関係なく年上の人に遊んでもらえて楽しかったですよね。

斎藤 そうですね。高校生でYMO好きだって言うとすごくおじさんに褒めてもらえたんですよ。そこで調子に乗って「今のJポップはダメだと思います!」とか書いたりする。カラオケに行けば、スピッツとかGLAYとか歌っているくせに(笑)
小木曽 25年前のネットって、最初はまだ一般の人も「見てるだけ」の人が多かったんですよね。その後だんだんツールが増え、個人でも気軽に情報発信できるようになった。そしたらいきなり、ネットの中なら年齢や立場の壁を越えられるようになったじゃないですか。あれは衝撃でした。
劔 『釣りバカ日誌』みたいな状態ですよね。僕もハロプロを好きになって、そこで立場も年齢も関係なくいろんな人と知り合ったんです。それこそ宇多丸さんとか、あとロマンポルシェ。の二人とか杉作J太郎さんとか、みんなハロプロやモーニング娘。の応援をしているなかでネット上で知り合った人たちなんですよね。ネットって有名無名は関係なく、同じ立場で人と付き合えるんだな、というのはその頃に知りました。

今はまだ、インターネットは過渡期なのだ!

VRゴーグルをつけている人のイメージ

──そういった「立場や年齢関係なしにひとつの共通点だけでつながることができる」という点はネットが発達して生まれたいいところだと思うんですが、それに加えて「今後こういうインターネットになったらいいな……」というポイントはありますか?

劔 ネットの危険性が、もうちょっと改善されるといいと思うんですよね。子どもとか、やっぱり今でも危険な目に遭うじゃないですか。娘がいるのですが、とっても危険なことがたくさんあるので、そこがどう解消されていくかということには関心があります。

──今回の皆さんにしてもそうですけど、今一定年齢以上の大人ってある程度の年齢になってからネットに触ってますから、物心ついた時からネットに触る世代とは危険度が違いますよね。

斎藤 自分にもこうなったらいいなと言うか、こうなるだろうなというのがあって、今メタバース(ネット上の仮想空間)が少し話題になってますよね。あんな感じで、「ネットが脳や感覚と直結している感じになっていくのかな……」と思ってます。僕が老人になるくらいの頃はもうそうなってて、その頃になって「僕が若い頃のインターネット体験って、これの入り口だったんだな……」ってなりそう。
小木曽 お二人の話を聞いていて思ったんですが、やっぱりネットのリスクって過渡期ならでは、だと思うんです。よくわからずにみんな使っているから事故も起きる。リアルだったら騙されないような話にもあっさり騙されたりする。でも、人間とネットが完全な常時接続になって、現実とネットが同期したら、多分誰もインターネットを意識しなくなるんじゃないかなって思うんですよね。
小木曽健さんネットリテラシーの専門家として活動する小木曽健さんは「まさに今がネットの過渡期だから、危険性が問題になってるんですよ」と教えてくれた。

──現実と差がなくなるわけですね。

小木曽 そうなると、例えば向こうから歩いてくる人が挙動不審だったら身構える、みたいな自然な感覚で、インターネット内でも危険を感じ取れるようになるのかなと。現実世界の危機意識や防衛本能がネットにも活かせるようになって、最後は日常とネットの区別がなくなるんじゃないかと思います。我々が生きているうちに、そうなったところを見てみたいですね。

TEXT:しげる
イラスト:Getty Images
PHOTO:Getty Images

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