YouTubeは自己表現の場!? 草創期から投稿を続けるYouTuberが変遷を語る【So-net25周年企画 そこにはいつもネットがあった#4】
2021年、So-netはサービス開始25周年を迎えました。1996年にインターネット接続サービスがスタートし、2001年にはADSLサービスを開始。翌2002年には光接続サービスを開始し、今に至ります。
その傍らにはいつも、インターネットを盛り上げるサービスがありました。この連載「そこにはいつもネットがあった」では、インターネットとその周辺にあるものに焦点をあて、インターネット黎明期から現在までを振り返ります。
第4回目となる今回のテーマは「YouTube」。2005年にアメリカで生まれ、2007年に日本語対応が完了。その後、YouTubeに投稿した動画の再生に対して支払われる広告収入で生活する職業「YouTuber」が出現し、いまや人気職業の一つとなりました。
そんなYouTubeの歴史について、2005年から動画投稿を始め、2022年3月現在チャンネル登録者数94万人の「MEGWIN TV」を運営するYouTuber・MEGWINさんにお話を伺います。
馬主を目指して芸人に。YouTube以前から動画を投稿していた
––MEGWINさんはそもそも芸人として、YouTubeが始まる前からインターネット上に動画投稿していたそうですね。
そうなんですよ。でもお笑いは全然好きじゃなくて、ダウンタウンとウッチャンナンチャンくらいしか知らなかったんですけどね(笑)。
––えっ?
そもそもは、子どものころ、いろんなゲームで遊んでいるうちに、競馬とスポーツはファンタジーじゃなく現実に直結していることに気づいて、これで生きていこうと思ったんですよ。それで最初は「ジョッキーになりたい」と思ったけど無理だと気づいて、次は調教師になろうと思って牧場で働きました。そしたら、一番偉いのは馬主だとわかったんです。でも馬主になるためにはまずお金持ちになる必要があったので「芸能人になろう!」と考えました。芸能の仕事の中だと自分にできるのはお笑い芸人くらいかなと思って芸人になったんです。
––なるほど!
でも実際、芸人になってみたらたくさんのライバルがいて既にピラミッドが形成されていたんです。で、「芸人やってもダメじゃん」と思っていた頃に、単独ライブの幕間で流すための映像を作ったんです。そしたら、ネタよりも映像の方がウケちゃったんですよ(笑)。
––(笑)。当時はどういう動画を作っていたんですか?
カメラを持って公園で幼稚園児に紛れてすべり台を滑ったりしてました(笑)。当時特ににウケたのは『サザエさん』のパロディーでしたね。『サザエさん』ってオープニングで全国津々浦々をサザエさんが旅するんですけど、それと同じ場所同じアングルで撮影して、比較映像を作ったり。
––まだ映像を個人で作ること自体が珍しい時代でしたしね(笑)。
それで「こんなにウケるなら映像で行ったほうがいいんじゃないか」と思い、当時ブログが流行っていたこともあって、映像付きのブログを作ることにしたんです。それがきっかけでした。最初は映像編集ができる人にやってもらっていたんですけど、すぐに自分でやることになって、ビデオデッキ2台を使ってリニア編集していましたね。それが2003年くらいで、2005年からMEGWIN TVとしてネット上に動画投稿をスタートさせました。
YouTuberの毎日投稿。その原点は当時流行りのブログから
––投稿プラットフォームをブログからYouTubeに移したのはなぜですか?
今と比べたらかなりマネタイズのハードルは高かったんですが、YouTubeには当時から収益化の仕組みがあったので、それが理由です。ニコニコ動画という選択肢もあったんですけど、当時のニコニコ動画にはマネタイズの手段がなかったですからね。
––当時のYouTubeにはどんな動画が上がっていたのか覚えていますか?
ほとんど違法アップロードやMAD動画(※1)しかなかったですね(笑)。自分の顔を出している動画なんてありませんでした。
※1 MAD動画…既存の音声・ゲーム・画像・動画・アニメーションを元ネタに個人が編集して再作成した動画のこと
––そんな中、顔出しのネタ動画をアップし始めたMEGWINさんですが、どんな反応がありましたか?
反応はほぼなかったですが、もらえる反応の多くは海外からでした。海外でも顔出しで投稿している人がそんなにいなかった時代で、なおかつ毎日更新しているのも俺しかいなかったので目立ったんでしょうね。そして当時の日本にはチャンネル登録という概念が浸透していなかったので、登録してくれるのもほぼ海外の人でした。
––そもそもログインしてYouTubeを使っている人が少なかった時代ですもんね。
そうです。
––ある時期まで「YouTuberは毎日投稿して当たり前」という常識がありましたが、MEGWINさんが最初から毎日投稿していたのは何故だったのでしょうか?
そもそもスタート地点がブログだったので。ブログって基本毎日投稿するものだったじゃないですか。
––ああ、なるほど!当時のブログは基本的に日記でしたもんね。
そうそう。みんな「こんなご飯食べたよー」みたいな投稿ばっかりだったので、「じゃあ俺は毎日ネタを投稿する」って感じでした(笑)。毎日ネタを考えるのは大変でしたが、いつの間にかそれが日常になっていました。
––YouTubeを始めた頃も動画編集は自分で行っていたんですか?
そうですね。カメラもパソコンも自前ですし、当時は記録メディアがDVだったのでテープを何本も買ってましたね。ソフトも当初は「超編」っていうやつを使っていました。
––当時、動画編集スキルは一般的な技術ではなかったですもんね。
プロか俺かしかいませんでしたからね。そういえば、あの頃って映画コンクールみたいな賞レースが結構あったんですよ。題名やテーマが決まっていて、そこに作品を提出するという企画。俺、何回か優勝してトータルで2〜300万円くらい稼いでましたよ。
––えっ、それはすごいですね!
でも、ある意味では当然なんですよ。アマチュアって1年に何本かしか制作しないけど、俺は毎日作っていたのでスキルが全然違うんです(笑)。
––たしかに。ちなみに当時の回線ってADSLが普及したかしてない頃だったと思うのですが、YouTubeへのアップロードはすんなりできていましたか?
それは大丈夫でした。というのも、当時はまだ画角も4:3で画質もHDとかではなかったので、そもそものデータが軽かったんですよ。
YouTube収益化から会社設立まで。綱渡りだったあの頃
––YouTubeの収益化はすんなり行きましたか?
YouYubeがGoogleに買収されてから広告収入の仕組みがはじまったみたいなんですが、1年ぐらい審査に落ち続けましたね。「これで審査に落ちたらもう絶対に辞めてやる!!!」っていうタイミングで受かりました(笑)。
––(笑)。収益化の審査に通ってから収入は安定しましたか?
いえ、YouTubeパートナープログラムが始まった当初ってまだYouTube広告自体ほぼ入っていなかった頃なので、お金なんて全然もらえなかったんですよ。だから当時はお金的にギリギリで、2011年に会社化するまではずっとバイトしてました。
––会社化した理由とは?
それまで動画制作の手伝いに来てくれてた人たちがいたんです。でも、彼らがいい感じでスキルが上がってきても結局卒業や就職のタイミングで辞めることになってしまう。それが惜しかったんですよね。当時は登録者数が20万人ぐらいだったんですけど、そこから先の体制づくりを考えた上で「これからはお金を払うからバイトを辞めてください」ってお願いしました。
––そうして会社ができたわけですね。
会社化して初めて給料を振り込むとき、自分も含めて60万円くらいの金額だったんです。当時は「一生でこんなに高い買い物ないよ!」って思ったくらいでした。ちょうどその頃、タニタという体重計メーカーが声をかけてくれて融資してくれたんですけど、お金的にはまだまだ辛い時期でしたね。
––しかし、MEGWINさんはタイミング良く繋がって続けられてきたわけですね。
綱渡りでした。でも、たしかにそういうタイミングの良さやラッキーなことがなかった人たちは消えていってしまったという印象はありますね。当時ニコニコ動画で人気だった人たちでさえ、お金がもらえなくて続きませんでしたから。
CMがきっかけで爆発的に伸びたYouTubeの知名度と、訪れた大きな転換期
––2014年に「好きなことで生きていく」というキャッチコピーでの広告展開が行われ、YouTubeの知名度が一気に広まりました。MEGWINさんは当時のことを覚えていますか?
まさに、これを機に一気にYouTubeが知られ、世の中の人が「YouTube」という名前を声に出すようになった時期ですね。やはりテレビCMがたくさん流れていましたし、あのインパクトは大きかったですね。俺の次の次の世代くらいまでのYouTuberが、あのタイミングで出てきた印象があります。
––MEGWINさんが第一世代ですよね。
世間的には「YouTube Next Up(※2)」で世代を区切るんじゃないかと思いますが、俺の中ではヒカキンが同じ世代で、第二世代はマホト君たちですね。彼は第一世代とも言えるけど、俺を観て始めたって話なので。
※2 YouTube Next Up…次世代YouTubeクリエイターの発掘、支援を目的にしたクリエイター育成プログラムのこと。
––YouTubeの流行スタイルはどんどん変わってきていると思いますが、MEGWINさんから見て印象的なトレンドはありましたか?
ヒカルが出てきた時はすごく覚えています。彼が出てきて、一個のネタにかける予算が爆上がりしたんです。でも、彼の動画を観て「戦略を打たないと負けちゃう」って肌で感じたので、会社のみんなに「1か月の予算を100万に増やすから、それを使ってくれ」と言うようになりました。
––それだけインパクトが大きかったんですね。
そうですね。それまでYouTuberはあまり儲かってないイメージを出してたんですよ。でも、ヒカルの出現によって「世間はこっち側を求めてるんだ」とわかって、みんなシフトしていきました。
––でも、ヒカルさんが予算を注ぎ込んだ企画をできたというのは、当時すでにYouTuberは儲かっていたということですよね。
そうですね。もう儲かってた時期です。
––「こんなにもらえるの?」みたいな感じでしたか?
周りはそんな感じでしたが、自分の認識はちょっと違いました。俺は生涯100億円キャッシュで使いたいという目標があるし、そもそも馬主になりたいと思っていたので「YouTubeじゃそこまで到達しない。他の事業も考えないといけないな」と思うようになっていました。
––世間的にはYouTuberの知名度が上がった一方、MEGWINさんとしてはYouTubeの限界が生まれた時期だったわけですね。他にYouTubeを始めた頃から変わったことはありますか?
世界を意識するようになりました。せっかく世界のスターになれるプラットフォームなのに、日本だけで観られるのは寂しいなと。ただレペゼン地球も海外進出を断念したように、やっぱり世界を目指すのは難しい。それって悔しいよなと思っていて、英語大嫌いだったけど勉強を始めましたね。
変化したYouTubeに対する想いと、今後目指すもの
––YouTuberといえば、一昔前までは毎日のネタ探しと編集に追われているイメージがありましたが、最近はどうなのでしょうか?
もう違いますね。俺もずっとオリジナルで自分の好きなことをやっていましたが、『ポケモンGO』が流行り出した頃からそれでは数字が伸びなくなってきたんです。じゃあどうするのかというと、誰かがやってヒットした動画をそのままやる。それが一番伸びるということになったんです。おるたなくんが最初にそれを発明したのかな? それ以来、ヒットしているものをリサーチして、そのネタをトレースするというのが、今のネタ系の王道ですよね。
––YouTuberみんな激辛ペヤングを食べている、みたいなことですよね。
それをやらないと数字が伸びなくなりましたからね。もちろんYouTuberというのは仕事としての側面があるので、「じゃあそれでやってくれ」という感じで。その頃からやる気がなくなって、部下に任せるようになっちゃいました。
––流行った動画のコピーが伸びるようになったのは、どういう理由からだと思いますか?
いや、よくあるパターンじゃないですか。音楽にしても他の芸術にしても、やっぱり流行りに乗らない芸術家は淘汰されるというのは当然の流れです。V系が流行っているときにメタルをやっても売れないというのは当たり前ですよね。それだけYouTubeが一般化したということだと思います。
––なるほど。MEGWINさんはいち早くYouTubeに目をつけ、そのプラットフォームが爆発的に流行したわけですが、YouTubeに限らず今後注目している流れはありますか?
「配信に力を入れるべきじゃないか」と思ってます。おそらくもっとツールやプラットフォームが増えるし、今はコメントのみでほぼ一方通行の配信ですが、5Gの普及で通信速度も上がります。それに伴い、今後は視聴者が配信者の空間に入り込んできてアクションできるような仕掛けが生まれてくるんじゃないでしょうか。
––例えばどんなことが考えられますか?
自分ではやりたくない(笑)けど、配信者と常に一緒に旅してる感覚になれる、みたいな生配信の双方向性が強いチャンネルができていくんじゃないかと思いますね。
ただ俺はやるからには世界一をとりたいんですよ。だからこの先、YouTubeでの知見を活かして次世代テクノロジーとMEGWINを融合させた何かを生み出していくつもりです。俺は世界一をとりにいきますよ、MAJIDE。
文・撮影:照沼健太
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