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2017.11.16 俺が使ってるSNS、俺の死後どうなるの?中川淳一郎は考える。

多くの人が利用しているSNSですが、本人が死んだ後に残されたアカウントはどうなるのでしょうか。ネットニュース編集者として活躍している中川淳一郎さんにご自身の経験や体験を踏まえ、考えてもらいました。

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「インスタ映えする写真撮影技術」だの「いいね!がもらえるテクニック」が存在するなど、現代の我々の人生に大きく関わるSNSだが、ふと思った。自分が死んだ後、これらはどうなってしまうのか。自分の愚行やら恥ずかしい写真やらが永遠にネットに残ってしまうのだろうか。色々考える前に、各SNSの死後の対応をザッと見てみよう。

  • Facebook:死者の家族や友達がリクエストを申請した場合、追悼アカウントに切り替わるか削除することができる。
  • Twitter:死者の家族もしくは遺産管理人からの削除リクエストが可能。
  • Instagram:死者の近親者から削除リクエストが可能
  • Ameba:遺族の本人照会のもと削除リクエストが可能。


例えば、タレントの飯島愛さんが2008年12月に亡くなってからは、彼女のブログには故人を悼むコメントが連日書き込まれていたが、管理しきれないということで、遺族が閉鎖を運営元に依頼。公開最終日となった2015年10月31日までにブログの最後のエントリーには約72000件のコメントが並んでいた。

2017年10月に発覚した座間の9遺体事件については、亡くなった女性のものとみられるツイッターの書き込みが何度もメディアに取り上げられた。2009年の「婚活連続殺人」事件で知られる木島佳苗との「婚前旅行」に行くことを楽しみにしていた男性のブログも死後に多くの人から閲覧
された。その後殺されることを微塵も感じさせぬその様子は木島を信じ切っていた様子が見て取れ実にやるせない気持ちになる。

10人が死傷した2016年3月の大阪・梅田の自動車暴走事故では死亡した運転手の男性のフェイスブックが死後「墓あさり」のような状況になった。同氏は大動脈解離を発症し、暴走したとの報道もある。この直前、運転中の様子をツイッターで発信し続けていたことも明らかになり、この行為が非難された。Facebookには食べたものが記されたが、これをネタに「【大阪梅田暴走事故】運転手・○○さん(51)のFacebookがヤバすぎる…これは病気になるわ…」というまとめサイトの記事が登場する。そのなかではうどん屋できつねと釜揚げバタージンジャーうどんを迷った挙句両方注文したことなどから、食べ過ぎを死後ネチネチと突かれてしまうのである。

体重が110kgあったことや、その体で10kmのマラソン大会に出るのは無理がある、と無関係な人々が「にわか医師」のような状態で指摘し、最終的には「自己責任」やら「暴飲暴食の末に他人を死傷させるとは…」と非難する。

さらには、こうした衝撃的な事件を起こしただけに、PV(アクセス数)稼ぎをもくろむハイエナメディアからネット上の情報を切り貼りした情報をまとめられ、その人物像がネット上に延々残ってしまう。前出の見出しはその一環である。こうしたサイトは、SEO対策だけはできているので、その人物名を検索すると上位にこうしたハイエナメディアの記事がいくつも出てきてしまう。

これはたまらない。遺族や友人からすれば、死んで悲しいというのにネット上でセカンドリンチとも言える状況が生まれてしまうのだ。こうした観点から私自身は衝撃的な事件や事故で死んだら即時全SNSのIDを失効させる方が良いと考えている。

が、その他の著名人でもない人が亡くなった場合は、故人を思い出す場所として機能しても良いだろう。

2008年4月、大学の後輩が白血病で亡くなった。彼は“TK”名義で闘病ブログを書いていたが、彼の命日には毎年のように彼のことを知っている人とブログだけで知っていた人々が集い、「桜の季節。今年も来ました。TKさん、電話したいなぁ。報告したい事いっぱいありますよー!」などとメッセージを残していく。

また、ジャーナリスト・竹田圭吾さんは2016年1月に膵臓がんで亡くなった。何をするわけでもないが、2015年12月24日の最後のツイートはときどき見てしまう。そして、彼のアイコンの下には「104人の知り合いのフォロワー」という表示が出る。亡くなったとはいえ、皆、竹田さんのフォローを解除する気になれないのだ。

死者のツイートがたまに表示されることもある。それは過去に流行ったキュレーション系サイトの更新通知である。自分が気になるネタが自動で収集され、それが新聞のような形でコンテンツ化されるのだが、「デイリー○○が更新されました」というツイートが自動的にされる。ここでも亡くなった知り合い男性のツイートを見ることができる。その度にスケベで担担麺が好きだった彼のことを思い出しては愛おしい気持ちになる。

さて、自分はどうするか。現在持っているIDはAmebaブログ、はてなブログ、gooブログ、ライブドア Blog、Twitter、Facebook、Google+、LinnkedIn、mixi、noteである。この中でアクティブなのはライブドアBlog、Twitter、Facebook、noteの4つである。他は開店休業状態だし、mixiは匿名である。

特に恥ずかしい内容もないし、とりあえず死ぬ前に旅立ちの準備の一環として消す予定は今のところない。現在はこうした文章を書いた場合などにリンクを貼って紹介する必要があるためツイッターとフェイスブックは活用するが、リタイアした場合、もはや宣伝する材料はなくなる。その場合はもしかしたらこれらはすべて消してしまうかもしれない。

しかしながら、消しても「はぁ~一区切りついたぞ」という自己満足にしかならないような気もする。何やら文章が行ったり来たりしているが、それだけこの件については「正解がない」ということなのだろう。

凄惨な死を遂げた場合はハイエナメディアの運営者に利用されつくされるし、普通の死に方をしたとしても、自分の子どもが見た場合に「お父さん、こんなに口が悪かったんだ」などと言われてしまうかもしれない。死後SNSが残り続けることについては「運営会社のサーバーの負荷がかかる」といった意見もあるが、それは運営側が判断することであり、我々ユーザーはいかんともしがたい。ただし、今無数の人々が日々をネットに綴る状況というのは、後世の歴史家や文化の研究家から見れば宝の山だろう。

しかし、何よりもこれまでの人生で築いてきた人間関係という観点からすれば、命日に故人を思い出したところでその人のブログやSNSを見て思い出に浸るということができるのは貴重である。その一方、過去に私は婚約者を自殺で失ったことがあるが、彼女が更新していたmixiを見る気には今ではなれない。理由は、鬱病と闘っていた凄惨な日々を送っていたにもかかわらず、楽しげなことや強がりが書かれてあり、その健気さが悲しみを増幅してしまうからだ。

身近な人が悲劇的な死に方をした場合、ネットに残された文章や写真、動画は残された人を悲しませるかもしれない。ならば、自分にとって大切な人のことを考えれば「衝撃的な事件で死なない」「健康で穏やかな生活を送る」ということが重要になってくる。死後の心配をするより、現世を波風立たずに生きることをむしろ考えるべきではないか。さすれば死後に残されたSNSやブログは生き続ける人にとって一つの「墓標」のようなものになってくれるのだから。

TEXT:中川淳一郎

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