いまさら聞けないダイソンの創業ストーリーについて徹底調査。 創業者の壮絶な失敗談も
日本で「高価で良い掃除機」と聞くと、ダイソンの掃除機をイメージする人も多くいるかと思います。
実際、ダイソンも日本市場の価値を見越しており、世界初のダイソンのフラグシップ店を東京の表参道にオープンさせています。
ですが、ダイソンがどのように創業され、どんなストーリーがあるのかを理解している方は少ないのではないでしょうか?
この記事では、世界的家電メーカーのダイソンの創業ストーリー、創業時の失敗談についても解説をしていきます。
- 掃除機のダイソンは、英国でジェームズ・ダイソン氏によって設立された
- ダイソン氏はダイソンの創業前、手押し車のビジネスをしており、借金と住宅ローンを抱えて無一文となってしまう
- 手押し車のビジネスで得たアイディアを基に、掃除機のビジネスを思いつく
- 5000回以上のプロトタイプ作成を経て、5年後にダイソンの掃除機が発明される
- 現在のダイソンはエンジニアの教育にも力を入れている
目次
ダイソンは世界最大の白物家電メーカーです。
そのようなグローバル大企業を創り出したのは、イギリス出身のジェームズ・ダイソン氏です。
ダイソン氏は「ダイソン」を作り上げるまで、多くの失敗をしてきています。
そのストーリーを3つの段階に分けて解説をしていきます。
ダイソン氏の学歴として、2つの大学で学んだ経歴があります。
1つ目がファイン・アートを学んでいた経歴で、2つ目が家具とインテリアのデザインを学んでいた経歴です。
1つ目のファイン・アートを学んでいたのは、1965年から1966年の一年間で、セントラル・セント・マーチンズで学んでいました。
その後、転学をして1968年から1970年まで英国王立美術大学で、家具とインテリアのデザインを学んでいます。
こうしたアートのバックグラウンドから、ダイソン氏は日本の多摩美術大学で客員教授も務めた経歴もあります。
こうしたアートの経歴を持っていたダイソン氏が、製造業でビジネスをやろうと考えたのは英国王立美術大学で学んでいた時でした。
当時、ダイソン氏はエンジニアリングに興味を持ち、独学で勉強をしていました。
転機だったのは、発明家兼エンジニアのジェレミー・フライ氏の話を聞いたことです。
ある集会で、劇場の建築設計を手がけていた、発明家兼エンジニアのジェレミー・フライ氏の話を聞く機会がありました。
ジェレミー氏は当時高速艇「シートラック」の開発をしており、ダイソン氏のエンジニアリングへの情熱を知り、プロトタイプを作って販売をしてみないかと打診をしました。
そのことが、ダイソン氏を製造業のキャリアへと後押しをすることになります。
ダイソン氏は大学卒業後そのまま、シートラックを開発していたジェイミー氏の率いる会社「ロトルク」に入社をします。
ここで順調なキャリアを重ねていき、管理職の職位に就いていました。
管理職としてシートラックを年間200艇製造し、クライアントは40ヵ国に広がるまでに仕事にのめりこんでいきました。
ですが、ダイソン氏はこの管理職の立場を捨て、自分自身でビジネスをやってみたいと思うようになります。
製造業での経験を活かし、手押し車のビジネスを立ち上げます。
ですが、このビジネスは結局失敗に終わりました。
当時はベンチャーキャピタル等、資本を借り入れる方法もなく、手持ちの資金でビジネスを始める必要がありました。
それでもダイソン氏は、手持ちの資金を用いて、手押し車の事業を少しずつ拡大していき、英国内の市場の半分以上を獲得するに至ります。
結果として、投資家から多くの資金を調達出来るようになりました。
ですが、製造業はビジネスの性質上、利益率が上がりにくいです。
利益率が上がらないことから、株式分配を行っていた投資家から解雇されることになります。
ダイソン氏はこの時点でビジネスに多くのお金を使っていたため、無一文の状態でした。
当時2人の子供がおり、住宅ローンもあったようです。この状態で無職で無収入の状態になってしまいました。
このような状態になっても、ダイソン氏は諦めることはありませんでした。
次の事業として取り組んだのが、今でも存在している「掃除機」の事業です。
手押し車を製造する工場で、塗装スプレーの粉塵を吸い込むサイクロン式分離機を目にしたことがきっかけです。
このサイクロン式分離機を、掃除機に応用できるのではないかと考えました。
加えて、当時の掃除機の分野には何年も新機能が追加されていなかったため、この市場をチャンスととらえました。
ですが、このビジネスも最初はうまくいきませんでした。
4年間全く結果が出ず、プロトタイプの作成は5000回以上にも及んでいます。
そして5年目、5000回以上のプロトタイプの作成を経て、世界初の紙パック不要の掃除機DC01を発明することになります。
これが現在でも発売されている「ダイソンの掃除機」の原点です。
当時、何年もイノベーションが行われていなかった白物家電の領域では、画期的な発明でした。
このDC1が発売されると飛ぶように売れ、20年後には7000人の従業員を抱えるグローバル企業へと成長しました。
現在は掃除機を中心として、ドライヤーや扇風機、空気清浄機等の様々な白物家電を開発しています。
家電の開発の他にも、様々な教育事業を行っています。
主なものは以下の2つです。
・財団の設立
・教育機関の設立
以下に詳しく解説していきます。
1つ目の教育が、財団の設立です。
ITエンジニアではない工学系のエンジニアは「儲からない」、「仕事がない」といったイメージが持たれがちです。
これらのことから、英国国内だけで毎年7万人近くのエンジニアが不足しています。
このことが、英国経済にとって大きな影響を出しているとダイソン財団は考えています。
そのため、財団ではエンジニアリングの教育や研修などを学校等の教育機関で実施しています。
日本等の外国でも実施しており、日本でも都市圏を始め、長野県等の地方の中学校の「総合の時間」等で教育を実施しています。
2つ目の教育が、エンジニアキャリアの支援です。
エンジニアの人材不足を解消するために、英国内にDyson Institute of engineering and Technologyとよばれる教育機関を設立しました。
これは通常の大学と同じで、卒業をすると工学の学位が取得可能です。
入学した学生は、ダイソンのエンジニア部門で働きつつ、技術を深めていきます。
こういった施策を通じてエンジニア不足を解消しようとしています。
ジェームズ・ダイソン氏がイギリスで創業した掃除機メーカー「ダイソン」は、従業員7000人を抱えて世界に事業を展開するグローバルカンパニーです。
製造業の傍ら、財団の設立や若者のキャリア支援等、様々な事業を展開しています。
もし今後ダイソンの掃除機を見かけた際、もし持っているのならその掃除機を使っている時、壮絶な創業のストーリーや現在のダイソンの社会に与える影響について考えてみてはいかがでしょうか。
PHOTO:iStock
TEXT:PreBell編集部
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