マイクロソフトを生んだ「もうひとり」の男、ポールアレンについて徹底解説
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2024.01.04 マイクロソフトを生んだ「もうひとり」の男、ポールアレンについて徹底解説

「マイクロソフトの創業者」と聞くと、ビル・ゲイツの名前が最初に浮かぶ人が多いかと思います。

ですが、マイクロソフトの創設に深く携わった人物がいることはあまり把握できていない人もいるのではないでしょうか?

「ポール・アレン」と呼ばれるマイクロソフトをビル・ゲイツとともに立ち上げた人物がいました。

2018年10月15日に65歳で亡くなっています。

ビル・ゲイツはアレンの訃報に際して「彼なくしてパーソナルコンピューティングの世界は存在しえなかったでしょう」とのメッセージを出しています。

今回は、マイクロソフトを生んだもう1人の人物、ポールアレンについて徹底解説をしていきます。

  • ポールアレンはビルゲイツと同じ学校の同級生であった
  • 持病でマイクロソフトを去ることになる
  • マイクロソフトを退社後は様々な分野(芸術や動物保護、学問等)の分野に投資や慈善事業を行っている
ポールアレン記事のポイント

ポールアレンとは?

ポールアレンとは?

ポール・アレンはマイクロソフトをビル・ゲイツとともに立ち上げた人物です。

具体的には、マイクロソフトの初期の成功において、特にMS-DOSの開発に貢献しています。

MS-DOS(Microsoft Disk Operating System)は、マイクロソフトが開発した最初のOSです。

OSとは、Operating Systemの略であり、一般的に使用されているWindowsやMac iOS等がこれにあたります。

MS-DOSは現在広く使われているWindowsの前身となるものでした。

MS-DOSは現在広く使われているWindowsの前身となるもの

MS-DOSは、現在のように使いやすいものではなく使用するためにはある程度のプログラミング言語の知識が必要なものでした。

ですが、当時のパーソナルコンピューターにおける基本的なOSとして重要な役割を果たしています。

MS-DOSは、最終的にWindows NTやWindows 2000、後のバージョンのWindows OSの基礎となっていきました。

そのため、現在使っているWindowsはポールアレンの貢献無しでは存在しなかったものかもしれません。

このように、ITの普及に多大な影響を及ぼしたポールアレンのストーリーについて解説をしていきます。

ポールアレンのストーリー

ポールアレンのストーリー

1.ビルゲイツとの出会い

ポールアレンは1953年にワシントン州で誕生しました。

シアトルの名門私立学校に通っていた彼は、そこでビルゲイツと知り合うことになります。

同じ「コンピュータ」に関心を持っていたビルゲイツと友人になったことが、将来的にマイクロソフトを創業することになるきっかけです。

具体的には、2人は学校に置いてあったテレタイプ端末からプログラミングのスキルを身につけました。

2人のプログラミングへの興味はここで止まらず、高校生ながら大学の研究室に出入りするようになります。

知人のつてでワシントン大学計算機科学部の研究室でプログラミングをして深いプログラミングへの知識を身につけたとされています。

2人は別々の大学に進学することになります。

ビルゲイツとの出会い

アレンはワシントン州立大学、ビルゲイツはハーバード大学にそれぞれ進学することになります。

しかし大学に入って2年後、ポールアレンは大学を辞め、ハーバード大学の近くにあった会社でプログラミングの仕事をすることになりました。

その後ポールアレンはビルゲイツを説得し、2人でマイクロソフトを創業することになります。

2.マイクロソフトの創業

2.マイクロソフトの創業

こうして1975年、2人はニューメキシコ州でマイクロソフト社を設立しました。

起業してから5年後、IBM社からOS開発の仕事を受注することになります。

このことをきっかけに、ポールアレンはある会社からOSの原型となるソフトウェアを購入し、開発をすることになります。

この時開発をしたのが、前述のMS-DOSです。

MS-DOSはこの時点でマイクロソフト以外が保有しているものではなかったので、他の企業に高い価値で得ることができるものでした。

多くの企業が興味を持ったと言われていますが、最終的に納入をしたのがIBMでした。

このOSをIBMへ納入して、マイクロソフトの成長に大きく貢献しました。

ポールアレンの身体に異常

ですが、この時にポールアレンの身体に異常が見つかり始めてきていました。

1983年に持病のホジキン病が悪化し、マイクロソフト社を退社することになります。

治療の末、1990年にマイクロソフトに取締役として復帰することになりますが、2000年にマイクロフトから完全に脱退することになります。

3.マイクロソフトの退社後

3.マイクロソフトの退社後

マイクロソフト退社後はポールアレンは慈善事業に参入することになります。

マイクロソフト退社後には、慈善団体であるポール・G・アレン財団を創設しています。

財団設立以後、毎年3000万米ドル程度を民間非営利組織に寄付や投資を実施しています。

多くの事業に寄付や投資を行っていますが、一番大きなところが「動物保護」の分野です。

アフリカゾウの密猟に関する調査事業やサメやエイの調査事業に多く出資しています。

芸術分野への貢献

芸術分野への貢献

投資や寄付を行うのは動物の分野だけではなく、芸術分野にも多く出資を行っています。

以下に解説をしていきます。

1.博物館事業への投資

ポールアレンが立ち上げた財団は、芸術家への支援や博物館の支援もおこなっています。

ポールアレンは個人的に多くの歴史的コレクションを持っており、それを展示したり、博物館にコレクションを貸与したりと多くの博物館関連の事業に関わっています。

それだけでなく、外部の研究(大学の研究等)にも寄付しています。

こういった活動は、理系の研究よりも日が当たらない人文社会の研究の発展に対して大きな貢献をしています。

2.図書館の設立

2.図書館の設立

博物館だけで無く、図書館の設立に寄付も行っています。

自身の通っていたワシントン大学に1800万米ドルを寄付し、図書館を設立しました。

その名前は、アレンの父の名を取って、Kenneth S. Allen Libraryとして設立されています。

この図書館は今でもワシントン大学で使用されています。

図書館設立だけでなく、図書館基金も設立し、800万ドルも寄付されています。

このように、図書館やその運営にも大きく寄付や投資を行っています。

まとめ

マイクロソフトは、世界的な大手グローバル企業

一般消費者向けにWindowsやOfficeといった製品を提供しているマイクロソフトは、世界的な大手グローバル企業です。

そのような大手グローバル企業を作ったのは「ビル・ゲイツ」が有名です。

ですが、そのビル・ゲイツが「彼なくしてパーソナルコンピューティングの世界は存在しえなかった」とまで言っている人物がいたことはあまり知られていません。

ポール・アレンは持病のためビル・ゲイツよりもマイクロソフトに関わる期間は短かったですが、その発展に大きく寄与した人物です。

もし今後Windowsといったマイクロソフト製品を使うことがあれば、こういった人物が陰で成長を支えていたという事実を意識してみてはいかがでしょうか?

PHOTO:iStock
TEXT:PreBell編集部

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