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約8億8600万km離れた木星に探査機を送り込む「ナビゲーションエンジニア」の挑戦

1960年のアポロ11号による人類史上初の月面着陸から僅か60年で宇宙産業の市場は40兆円を超え、2040年までには約100兆円以上になると言われています。

宇宙開発は、打ち上げ用ロケットの小型化・低コスト化が実現した2010年代以降、民間の市場参入が相次いできました。

成長を続ける宇宙開発の最前線で、NASAの研究開発機関であるJPL(ジェット・プロパルション・ラボラトリー)の高橋雄宇さんは、探査機が惑星に到達するまでの軌道を設計するナビゲーションエンジニアとして数々のミッションを成功させてきました。

今回は、火星探査機「マーズ・ローバー」の映像に感動し、JPLで宇宙開発に携わることを決意した高橋さんに、ナビゲーションエンジニアとしてのミッション、宇宙のインターネット事情、宇宙を目指す若者たちへのアドバイスなどについてお話をお伺いしています。

宇宙という無重力空間であらゆる惑星に向かう軌道を設計

宇宙という無重力空間であらゆる惑星に向かう軌道を設計

高橋さんは、NASAの研究所のJPL(ジェット・プロパルション・ラボラトリー)でどのようなお仕事をされているのですか?

高橋さん:
ナビゲーションエンジニアとして、JPLで探査機を惑星や小惑星・彗星に到達させるための軌道を設計しています。

ゴルフに例えると、ゴールが惑星や彗星、ボールが探査機で、動き続けるゴールに向かって、燃料など様々な条件を考慮しながらショットを打ち込むイメージです。

当然、少しのズレから期待通りの軌道に乗らない可能性もありますが、スラスターを使って軌道修正をし着実に目的地につけるようにします。

宇宙は無重力空間ですが、どのような影響を考慮して軌道を設計しているのですか?

宇宙は無重力空間ですが、どのような影響を考慮して軌道を設計しているのですか?

高橋さん:
惑星は、物理的な法則に従って太陽を中心に楕円を描いていますが、軌道を設計するためには重力の流れや天体の周期も考慮しなければいけません。

例えば、火星ミッションがロケットの打ち上げを逃した場合、不具合を直して即座に追いかけるのでなく、地球と火星が再度同じような位置関係になるまで2年ほど待ってから打ち上げた方が効率が良くなります。

山手線をイメージすると分かりやすいのですが、目の前で乗りたいと思った電車を逃した場合、同じ電車に乗るためには、走って追いかけるよりも、1周して戻ってくるのを待つ方が賢明でしょう。

さらに、宇宙空間では、微弱ではありますが、常に太陽によるフォトンから押される力(太陽輻射圧)も働いています。地球上で人間がこの力を感じることはありませんが、軌道設計をする上では欠かせない力の一つです。そういった微弱な力も考慮しながら軌道を設計しています。

木星探査機「Juno」打ち上げから10年。国境を超えたミッションを遂行する。

木星探査機「Juno」打ち上げから10年。国境を超えたミッションを遂行する。

世界の宇宙産業はすでに40兆円の市場規模を超えていますが、JPLはどのような位置付けになりますか?

高橋さん:
人工衛星に関して言えば軍事衛星、テレビ衛星、気象衛星など多岐に渡ります。最近はStarlinkのようにConstellationを作る衛星も増えていて、相当な数になります。

JPLがやるミッションは大きく分けてテクノロジーデモンストレーション(技術実証)とサイエンスミッション(科学)です。現在はTech demoよりは圧倒的にScienceのミッションの方が多いです。

その中でもJPLは商業ミッションでは無く、科学ミッションを軸に置いて数々のミッションを遂行してきました。

例えば、「Juno(ジュノー)」のミッションでは、木星の内部構造や深部の大気などを調査することで、太陽系形成の歴史や、木星で働いている物理の深い理解に貢献してきました。物理法則は変わりませんから、他の惑星を見ることで、地球の理解も深まります。

世界中の大手企業やベンチャー企業が宇宙ビジネスに進出していますが、国を越えた協力もあるのでしょうか?

世界中の大手企業やベンチャー企業が宇宙ビジネスに進出していますが、国を越えた協力もあるのでしょうか?

高橋さん:
NASA, JAXA, ESA(欧州宇宙機関)などはいい意味でライバルであると共に、天体から採取した岩石や砂、土などを地球に持ち帰る「サンプルリターン」が成功した場合、そのサンプルを共有するなど、国を超えた連携を行っています。

例えば、JAXAの「はやぶさ2」には NASAの科学者も関与していたこともあり、「惑星リュウグウ」で採取した石など試料の一部が引き渡されました。

同じように、今年9月に地球帰還のNASAの探査機「オサイリス・レックス」にはJAXA側の科学者が参加していました。オサイリス・レックスが小惑星で採取したサンプルもJAXAに提供される予定です。

日本の宇宙産業の発展の鍵は優秀な学生やエンジニアをいかに惹きつけるか

日本の宇宙産業の発展の鍵は優秀な学生やエンジニアをいかに惹きつけるか

イーロン・マスク氏やジェフ・ベゾス氏などIT関連の企業が宇宙事業に乗り出していますが、NASAとはどういった関係なのでしょうか?

高橋さん:
NASAやJAXAは主にScience missionを目的としているので、ただ宇宙に出ることが目的ではありません。銀河を観測したり、惑星探査をしたり、その目的はあくまで科学にあります。その上で必要な惑星までの移動にかかるコストは極力抑えたいと考えています。

そのための打ち上げを手伝ってもらったり、Artemisのように月面着陸ミッションに協力してもらうことで宇宙産業全体の活性化に繋がります。お互いwin-winの関係を築けていると思います。

H3の打ち上げなど日本の宇宙開発はJPLや高橋さんの仕事にも影響するのでしょうか?

H3の打ち上げなど日本の宇宙開発はJPLや高橋さんの仕事にも影響するのでしょうか?

高橋さん:
NASAとJAXAは、国際宇宙ステーション計画をはじめ、惑星探査活動においても協力関係にあります。

JAXAの小天体探査戦略のなかで「はやぶさ2」に続く「火星衛星探査計画(MMX)」において、私もNASA側の人間としてサポートに加わる予定です。打ち上げ予定は来年(2024年)で、ロケットはH3の予定です。

しかし、今年3月、JAXAは先進光学衛星「だいち3号」(ALOS-3)を搭載したH3ロケット試験機1号機を打ち上げましたが、第2段エンジンが着火しませんでした。

探査機を火星圏に送り込むためには、地球と火星の位置情報を踏まえると2年に1度しかチャンスがないため、今後の状況次第では、私の仕事も影響を受ける可能性があるでしょう。

最近話題になったH3の動向を含めて、将来的な日本の宇宙開発において何が必要だとお考えでしょうか?

最近話題になったH3の動向を含めて、将来的な日本の宇宙開発において何が必要だとお考えでしょうか?

高橋さん:
これまでの15年間はハヤブサを皮切りに小惑星のサンプルリターンを各国が競って来ましたが、現在は火星のサンプルリターンに向けて各国が動き出しています。アメリカと火星サンプルリターン計画を競うなかで、MMXのミッションが成功し、最初に火星・火星の月からのサンプルを持ち帰ることができれば、日本は世界に存在感を示すことができると思います。

ただ今回のH3の事故の影響でMMXミッションが先延ばしになると、このままでは、NASAのサンプルリターンの方が早く地球に帰還する可能性もありますし、科学の分野で遅れが生じてしまうことが懸念されます。日本の宇宙産業を考えると予算・物量ではNASAを上回ることは出来ませんから、やはりアイディア勝負のミッションで先手を取りたいところです。

人材育成の面で言うと、アメリカの大学院では潤沢な資金が大きな支えになっています。例えば軍関連やアメリカ国立科学財団の奨学金を得て学ぶ学生が数多くいますし、資金などの体力的な面から「リスクヘッジが出来る環境」が整っているように感じます。

世界中のどの大学でも学べるという選択肢が開かれるなかで、日本の大学は日本の素晴らしい資質を持った学生やエンジニアを惹きつけるような環境が必要だと思います。

“Don’t follow anyone (人の真似をせず)” 自分が信じた道を突き進んで欲しい。

“Don’t follow anyone (人の真似をせず)” 自分が信じた道を突き進んで欲しい。

高橋さんは日本の高校卒業後にアメリカの大学に進学しJPLに就職されましたが、なぜアメリカの大学を選んだのでしょうか?

高橋さん:
高校2年生の時に見た火星探査機「マーズ・ローバー」の映像に感動し、ミッションを遂行しているJPLで宇宙開発をしたいと思うようになりました。

当時はまだiPhoneも無いような時で、インターネットのみで情報を得るのは不可能でした。JPLに就職するためには、どの大学で何を学べば良いか書店で購入したランキングなどを参考にして決めました。

私は他人と比較して物凄く頭脳明晰というわけではないですが、JPLへの憧れが非常に強かったので、大学に入ってからも毎日遅くまで学校に残って誰よりも勉強していたように思います。

これからの未来を担う若者たちにアドバイスなどはありますか?

これからの未来を担う若者たちにアドバイスなどはありますか?

高橋さん:
最近、人生で初めてアメリカの大学院で一学期を通して講義をしましたが、質問もしない、与えられた課題もやらない学生の姿に愕然としました。

どれほど頭がよくても「自分はこれを成し遂げたい」という軸がないと仕事では通用しないのではないでしょうか。

私が勝手に思いついたフレーズで”Listen to everyone, but don’t follow anyone”というのがあります。つまり人の意見は聞きつつ、誰の真似もするな、真似をするとただの猿真似の劣化版になるということです。可能な限り多くの人達と出会い、その人達からあらゆることを吸収し、自分で答えを導き出すという強いモチベーションを持ち続けてほしいです。

高校時代からの夢を叶えた高橋さんですが、今後の目標などはありますか?

高校時代からの夢を叶えた高橋さんですが、今後の目標などはありますか?

高橋さん:
宇宙飛行士になりたいという夢があり、JAXAの公募に応募しましたが、残念ながら叶いませんでした。

理論では宇宙での仕事を理解できていますが、やはり宇宙に行くことを体感して宇宙を自分の一部にしたいと思っていました。結局それは叶わなかったので、ナビゲーションエンジニアの分野で1番になり、最終的には仙人のような存在になりたいです。

さらに、今までの経験を経て得た知識と技術の全てを若い世代にフィードバックできればと思っています。

終わりに

終わりに

key point

  • JPLで働く高橋さんは、ナビゲーションエンジニアとしてロケットから切り離された後の探査機の軌道設計を行っている。
  • JPLは太陽系の歴史や物理の法則など多くのことを解明する「サイエンスミッション」として数々のミッションを遂行してきた。
  • 日本の優秀な学生やエンジニアを惹きつけるためには「資金に裏付けされた挑戦できる環境」が重要である。
  • 未来を担う若者には「自分はこれを成し遂げたい」というブレない軸を持ち「誰の真似もしない」という強いモチベーションを持ち続けてほしい。

いかがでしたでしょうか?

火星探査機「マーズ・ローバー」の映像に感動した高橋さんが宇宙開発を志してから20年、宇宙事業はテクノロジーの発展により飛躍的な進化を遂げました。

現在の世界の宇宙事業のなかで、最も高い割合を占めているのがロケット・衛星の開発・打ち上げで全体の7割を占め、SpaceXに代表される米国等の巨大資本の参加により、ロケット打上げサービスの低価格化が進むとともに、小型・超小型衛星のコンステレーションによる通信衛星や観測衛星の新たなビジネスモデルが登場しています。

日本においても「宇宙産業ビジョン2030」にて国内の市場規模を2030年代初頭に2兆4,000億円までに倍増することが掲げられ今後の宇宙産業の発展が期待されます。

高橋さんのような明確な夢や目標を持った若者が日本で活躍するためにも、モノ作りの現場における「資金に裏付けされた挑戦できる環境」が必須課題と言えるでしょう。

intervieweeプロフィール

高橋雄宇

高橋雄宇

NASA JPL(ジェット・プロパルション・ラボラトリー)
ナビゲーション・エンジニア

Mission Design and NavigationのOuter Planet Navigation Groupに所属。衛星軌道のナビゲーションを担う。
現在まで準惑星ミッションDawn、木星ミッションJuno、小惑星ミッションOSIRIS-RExに関わっている。

1986年東京都出身。4歳から12歳までを父親の仕事の関係でシンガポールで過ごす。高校2年の時に見た火星探査プロジェクト「マーズ・エクスプロレーション・ローバー」の映像に衝撃を受け、その製作と運営を手がけたJPLへの就職を目指し、日本の高校を卒業後、アメリカ、アリゾナ州のエンブリー・リドル航空大学に進学。2007年に同学を卒業後、コロラド大学ボールダー校大学院に進み、2013年に博士号を取得。同年NASAのJPLに就職。

PHOTO:iStock
TEXT:PreBell編集部

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