繊細な女性の体調を管理へ。自宅での黄体ホルモン検査を可能としたドイツ企業「inne」とは?
黄体期から月経を経て、卵胞期、そして排卵ーー。
女性の生理周期は、おおよそ28日を一つのサイクルとしており、その間に分泌されるホルモン量や種類が大きく変化し、女性の心身の状態に影響を及ぼしています。
周期があるからと言って、毎月それが安定しているとは限りません。女性の体は繊細で、ストレスや食生活、その他の生活習慣により、排卵日がずれ、体調が変化することもあります。
自身の生理周期を把握することは、特に妊娠を考えている女性にとって重要となりますが、それ以外の女性の体調やメンタルヘルス管理にも有用です。
しかし、従来の方法でホルモン検査をする場合、病院やクリニックを訪れる必要があり、結果が出るまでに時間もかかっていました。
ドイツ・ベルリンを拠点とする「inne」は、自宅から手軽に黄体ホルモン検査ができる製品を開発したスタートアップです。この製品は、唾液から黄体ホルモン値を計測するもので、他に類を見ない、世界初の製品と言われています。
今回は、inne創設に至った経緯や同社の技術、女性向けのヘルスケア製品を開発することの課題、起業における恐怖を克服するコツなど、同社の創設者であるイリニ・ラプティさんにお話を伺っていきます。
- inneは、自宅から簡単に黄体ホルモン値を計測できる、世界初の製品を開発。女性の生理周期のモニターを目的としている
- 現在は黄体ホルモンのみを検査対象としているが、今後はビタミン量の計測や病気の検査にも応用を予定している
- 女性向けの製品開発を目指して起業する場合、男性が多い投資家や研究者に対し、理解や支援を求めるのに苦労する
- しかし、男性を敵視せず、謙虚かつポジティブに挑戦を続けていけば、道は開ける。結果ではなく、プロセスを楽しむことが重要
ラプティ:女性の生理周期をモニターするツールが限られているという問題意識がありました。
私たちが自動車を運転する際には、車載カメラやカーナビなど、運転や周囲の状況をモニターできるツールが多数ありますね。
一方で、女性が自宅からでも自身の体調をモニターするのに使えるツールは、体温計と月経のタイミングを記録・予測するモバイルアプリなどに限定されています。
それ以外のツールにアクセスし、ホルモン検査などを受ける場合には、病院やクリニックに行く必要があるでしょう。検体はラボに送られることが一般的ですので、結果が出るまでに時間もかかります。
一方で、女性の体が分泌するホルモンの量や種類は、生理周期に合わせて、毎日刻々と変化します。
それを継続的にモニターし、周期の乱れを把握するには、自宅でも簡単に使うことができ、正確な結果がすぐに出るツールが必要だと考えたのです。
そこでinneでは、唾液から黄体ホルモン量を計測できる製品「minilab」を開発しました。使い方はとても簡単で、口に試験紙を30秒間含み、唾液を吸収させます。
試験紙はプラスチック製の検査カセットと一体化しており、カセットごとinneが開発したリーダーに差し込む形で検査が可能となります。尿検査などで使われる試験紙と、同様の仕組みです。
リーダーがBluetoothとWi-Fi通信に対応しているため、カセットを差し込むことで弊社のAIプラットフォームに情報が送信され、分析が始まります。検査結果は10分ほどでモバイルアプリに表示され、黄体ホルモンの分泌量や生理周期の状況が把握できるわけです。
検査は午前5時〜午後2時の間で、自身にとって最も都合が良い4時間の時間帯を選び、毎日その間に検査すれば問題ありません。
忙しい社会人女性でも、出社前の朝の時間に、バスルームやキッチンなどで手軽に検査ができます。
minilabは、妊娠を望む女性のほか、避妊に気を遣っている女性、また自身の体調を把握したい女性にも利用されています。
黄体ホルモンは排卵後に多く分泌され、月経前から徐々に減少するため、体調不良の原因となり得る月経前症候群(PMS)のモニターにも使えるわけです。
実際に、すでにminilabを利用している顧客には、「黄体ホルモンの分泌状況と肌の調子との間に、明確な関連があることを実感できた」と話す方もいらっしゃいます。
他にも、自身の体調やメンタルヘルスとの相関関係を実感される方もいらっしゃるようです。
現在は黄体ホルモンのモニターにのみ対応していますが、将来的にはビタミン量のモニターや、インフルエンザなどの病気の検査にも応用を予定しています。
検査結果は、モバイルアプリ経由で医療従事者と共有することも可能なので、治療に役立てるという使い方もできるでしょう。
ラプティ:私は元々ギリシャ出身で、大学を出た後、10年ほど医療や危機管理のサービスを提供する民間企業に勤めていました。
医療従事者としてではなく、ビジネスやサービスの管理担当者としての仕事です。
英国のロンドンやフランスのパリ、マレーシアのクアラルンプール、その他のアジア地域での勤務経験があります。
その中で、多くの国ではいまだに女性が医療サービスにアクセスできていない実態を知りました。
また、医薬品の治験において、女性の心体への影響が本格的に研究され始めたのが、30年前と割と最近であることも知りました。
30年前に始まったのは、最も進んでいると言われる米国の事例で、それ以外の国の研究が始まったのは、もっと後になってからのようです。
男性と女性では平均的な身長や体重、筋肉量、生理周期の有無などに違いがありますが、多くの医薬品の用量目安は、いまだに男性向けの量を基準としています。副作用も、男性の体に表れたものを参照している場合が多いようです。女性の体への影響については、まだ不透明な部分が多く、今後さらなる研究が求められています。
このような課題意識もあり、前職の仕事の繋がりで知り合った研究者やAI専門家、データサイエンティスト、医療規制の専門家などの意見も聞きながら構想を練り、2016年にinneを創設しました。
本格的に従業員を雇用し、事業に乗り出したのは2017年のことです。
inneはハイブリット形態の企業で、多くの従業員が自宅から仕事をしていますが、それぞれ週に2日は出社するようにしています。
従業員の数は30名ほどで、性別の比率は60%が女性で40%が男性ですが、近い将来には半々になる見込みです。
ラプティ:起業家に限らず、女性はビジネスの世界ではマイノリティですので、成果を出すためには、男性よりも努力することを求められます。
女性起業家の場合は特に、投資を確保するのに苦労することが多いと感じます。
これは、投資家の多くは年配の男性であるため、女性起業家に対する共感を得ることが難しいためです。
投資家との会議の場では、女性は私一人ということも何度もありました。
女性を同一に見てくれ、真剣に話を聞いてくれる投資家が必要なのです。
またinneの場合には、女性向けの製品を開発・販売しているので、男性投資家や男性研究者の理解を得るのにも苦労しました。女性の生理周期をモニターする必要性について、男性投資家にわかりやすく説明し、賛同を得ることは難しいのです。
医療分野の研究者の間でも、圧倒的に男性研究者が多いため、優秀な研究者を説得し、協力を仰ぐのには、時間と労力を要しました。
しかし、女性は女性であることに引け目を感じたり、男性を敵視してはいけないと思います。最近は女性投資家の人数も増えてきましたが、男性投資家の人数が圧倒的なのは変わりません。男女関係なく、お互いに協力し合えるビジネスパートナーを探し、前向きに連携していくことが大切でしょう。
ラプティ:課題は起業後のステージによって変わります。もちろん、最初は金銭面の課題が大きいですが、一度ある程度の公的資金や投資を確保できれば、あとはそれほど大きな問題ではありません。
次のステージで課題となるのは、関係者とのコミュニケーションです。
同僚や外部の支援者と協力しながら望みの製品やソリューションを開発するには、密なコミュニケーションや信頼関係づくりが重要です。
少数精鋭のスタートアップでは、お互いに連携しながら、それぞれの役割を迅速に遂行する必要があるでしょう。
またステージに関わらず、経営者としては、常に謙虚な姿勢でいることを心がけています。
inneは私が一人で創設した会社ですが、同僚や外部関係者に対して偉そうにせず、相手から何かを学ぶ姿勢を維持する。そういったマインドセットが、自身の成長のためにも、他者との関係構築のためにも重要だと思います。
ラプティ:技術的な難易度は、女性向けであろうと、一般向けであろうと、変わらないように思います。
ただし前述したとおり、女性向けの製品の場合、多数派の男性投資家や男性研究者の理解を求めるのに苦労するでしょう。
また、思春期を超えると大きな変化がない男性の体と比べて、女性の体は日々刻々と変化します。
このため、女性向けの医療サービスや製品を開発する場合には、女性ならではの視点で、細かくニーズを洗い出す必要があるでしょう。女性が「役に立つ」、「欲しい」と思ってくれるような製品を開発する配慮が必要です。
ラプティ:ベルリンは、ビジネスを始めるのに最適な場所です。ベルリンはドイツの首都ではありますが、フランクフルトやハンブルクなどの他の都市に比べて安く住むことができます。
このため、優秀で、知的好奇心が旺盛な若い人材が溢れており、起業家が開発パートナーや従業員を探すのも容易です。
また公的な支援も充実しています。「Berlin Partner for Business and Technology」と呼ばれる官民連携型の起業家支援を目的とした組織があり、オフィスの場所探しや銀行口座の開設、従業員募集など、起業プロセスを多角的に支援してくれるのです。もちろん、私のような外国人の起業家も支援を受けられます。
一方で、ベルリンが他のドイツの都市と比べて劣っている点として、国際空港がないことが挙げられるでしょう。
国際線に乗る場合、フランクフルトなどを経由しなくてはならず、海外との行き来には不便を感じます。
ラプティ:人生は短いので、挑戦しないのはもったいないです。
個人的に、「ためらいは死を意味する」という言葉をモットーにしています。もしやりたいことがあるのであれば、ビジネスや起業に関連するものに限らず、何でも挑戦することが重要です。
特にスタートアップは小さな組織で、迅速な事業拡張と経営が求められるので、毎日いろいろなことを学ぶことができるでしょう。挑戦しなければ学ぶこともできず、成長することはできません。
また、起業には失敗が付きものです。失敗を恐れないようになるコツは2つあり、一つは経験を積むこと、もう一つは結果ではなくプロセスを楽しむことです。
失敗した場合、失敗の原因がどこにあるのか、客観的に特定できることも重要でしょう。一般的にスタートアップが倒産する場合、創業3年以内であることが多く、それを越えればより組織として安定します。
コロナ禍では、多くのスタートアップが倒産に追い込まれましたが、これは個々の経営者の責任ではなく、あくまでパンデミックのせいなのです。今後も、自然災害や病気の流行など、起業家の頭を悩ませる問題が多々発生するでしょう。そんな時、失敗や倒産の責任が自分にあるのか、それ以外のコントロールできない要因にあるのか、客観的に見分け、対応していくことが大切です。
KeyPoint
- 自宅からの黄体ホルモン検査を可能としたinneは、女性に対し、生理周期のモニターを通じた体調管理を提唱している
- 世界初と言われる唾液を使った同社の検査方法は、黄体ホルモンだけでなく、ビタミン量の計測や病気特定にも応用できる見込み
- 男性が多い投資家や研究者に理解や支援を求めるのは大変だが、女性起業家は男性を敵視せず、前向きに協力相手を探すべき
- 恐怖の克服には、経験とプロセスを楽しむ姿勢が大切。失敗の原因を客観的に特定し、適切に対応できる力も重要になる
いかがだったでしょうか?
ありそうで無かった製品を考案し、女性起業家ならではの課題や、起業家のリアルに前向き且つ論理的に対処されているラプティさんの姿勢には、色々と学ぶことが多かったのではないでしょうか。
簡単で使いやすいinneの唾液検査ツールが黄体ホルモン計測以外の用途にも応用されれば、男性を含む、より多くの人々に利用されていくのは間違いないでしょう。同社の今後の動向に注目が集まります。
inne
女性起業家の手で、ドイツの首都ベルリンに2016年に創設されたスタートアップ。女性が自宅からでも簡単・正確に黄体ホルモン値を計測できるツールを提供している。主な利用対象者は妊娠を望む女性であるが、生理周期をモニターして、自身の体と心の調子を整えたいと考える全ての女性にとってメリットがある。同社の製品「minilab」は、利用者による30秒間の唾液の自己採取と、AIによる10分程度の分析で、女性の生理周期を特定する。今後はビタミン量の計測やインフルエンザ検査などにも応用を予定している。
PHOTO:iStock
TEXT:PreBell編集部
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